店長日記
私が思うこと
2019年02月17日
◆私が思うこと
私が最も人生で苦しいと思う状況を体験していた時、
すべてがポジティブなメッセージを受け取れるものがあったらいいな・・・
と思った瞬間に家の棚にあったドリーン・バーチュー博士の創作したオラクルカードに
目が留まったのは、もう十数年も前のこと。
これは、当時元夫が、このカード。すべてポジティブでツマラないな。
といって放置したものを私が見つけたものだった。
それを目にしたときから、私はそのオラクルカードを使用し、
自分のことをまずじっくり5年間くらいセルフリーディングを行い、
自分ととことん向き合い、嫌な部分も思い出すと恥ずかしくて死にたくなるようなことも、
すべてを良しと思えるようになった。
それで、事実としてあることは、私の心はかなり、
荒れて愛されることも大切にされることも、
救いの手が入る優等生ではない人にでも、
見捨てられることなどないという愛に目を向けることができるようになって、
人生が緩やかに、しかし大胆に変化してきたと思う。
私は当然、救われ希望を持つことができたし、
何より意識する焦点を不安と共存しながらも希望に生きることを選択してこれたことで、
人生は徐々に、しかし力強く変化を遂げることができた。
生きることに希望を持てたというのは真実であり事実なのだ。
そのドリーン自身がキリスト教に転身を遂げてから、
今までのスピな世界を否定し、あれは悪魔の仕業だったとか言っているようで、
正直、偏った考えを持つことこそが、正しく考える力を抑制し、
魔が差す状態を作るのではないかと思い、
顔の表情も女神のように美しく溌剌としたエネルギーを発していた面影はなくなり、
まるで悪い魔女のような表情に変わっているとさえ感じたのだ。
スピリチュアルな世界を否定していることこそ魔の差した結果のように思う。
そしてさらに思うことは、こうしたネガティブなニュースを見聞きした流されやすい人は、
流されたままのことを言い、そして、お金をそうしたスピリチュアルな部分で稼いだ人のことを悪のように言い、
無料でやっている人たちを称賛する言い方をする人もいるが・・・・それはちょっと違うと思う。
お金はエネルギーの交換であるから、私たちの世界は物質世界なのだと思う。
この物質的な世界に生かされている人間だから、精神的にも物質的な部分も偏っていてはだめで、
どちらも必要なものなのだと思うから、どちらも欠けてもならず、
どちらか一方だけの視点で生きるというのは、あり得ないしできないことではないだろうか。
ある人が私にちょうどこんな言葉を告げた。
みんな人の子なんだから。
人の子なんだから、善良な心を持つ者たちであることは確かなんだ・・・という意味ね。
また、話を戻すけれども 家にしても、食事にしても、私たちが身に着けているものにしても、すべて、それを得るために対価となるお金が発生している。
カウンセラーや心の部分を扱っている人たちは、特にそうした目には見えない最も重要な心、魂という部分を取り扱っている。
目には見えないから、それが無料で価値のないものなのか?
当然違うだろう。
最も崇高で、最も重要なところには、お金が発生してもおかしくはない。
すべてが結果として現れるか否かで、その人の持つ術が、対価となるものとバランスが取れているか?
これは大事なところだと思う。 スピリチュアルな世界を否定する人は、肉体をもって精神を持たず・・・・ということを肯定するわけだから、おかしな生き物になってしまうではないか?
だって、そうなれば、植物人間じゃないか。
どんな職業でも対価は発生するもの。
私たちは、常に自由の中で選択権を握っているからだ。
自分が価値ありと思ったものに対価を払う。
私は、神や天使、妖精という目には見えない世界の神聖さを信じ敬意を払っているが、偏った考え方を人に押し付けるような物言いをする人たちは正直苦手である。
苦手ゆえに、遠ざかる傾向ありですが、類は友を呼ぶという風に常にグループが自然にできていくのが面白い。
批判は批判を生むし 愛は癒しをもたらす。 どんな人と付き合っていくか、そしてどんなものを選び自分の血肉にしていくか・・・
どれも私たちの生まれ持った魂の品格と生まれ育った環境による影響による選択である。
私は、流されず 事実と真実を見極めていく冷静さを 大事にしていきたいと、そう思った事件だった。
ちなみに・・・私のセッションを受けられたお客様の経過状況には確かにポジティブな変化を得られたと報告が絶えず上がってきたのも事実だ。
天の声を聞き、届けること 体の痛みを解放すること これは、私が絶望から希望と愛に生きる手助けを受けた恩返し。
これからもできる範囲で天の愛と共に人とかかわっていきたいと思う。